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ダラダラしてると終わっちゃう、人生は自分が思うより短いようだ

人間生きてると悩みが絶えないものですが、
恋愛、結婚、仕事、家庭、愛情、お金、
もっとこうだったら、あのときああしていたら、と思ってみたところで、
もう後の祭り。
気がついたら自分の出番が終わってる・・・なんてことがないとは言えない。

恋愛が人生の一大事だった時期がわたしにもあったなーって、
懐かしく振り返ってみて、そんな「今」が来るとは、
あの当時には想像もできなかったし、
今、自分が占いをやったり、ものを書いたりしてるなんて、
誰かに言われても絶対信じられなかったと思うんです。
自分のことだというのはわかるけど、
思い出しても、まるで前世の物語を見るようですよ。

そして、今は今で今の問題を抱えて考えこんだりを、やっぱり繰り返していてw
ほとんど成長がないような気がしてしまいますよ。まったく、爆。


いつだって、本当は「今」しかないのに、
先のことばかり考えて、今をなかったことにする。
取らぬ狸の皮算用というでしょう、
「大人」のいう常識は、たいてい、それです。

わたしには悪くせがあって、とにかく争いごとがキライというのがある。
揉めるのがいやで、つい相手のいうことを聞いてしまう。
でも、結局は最後まで貫けなくて反乱を起こす。



わたしは、30才の時、
母が死んだ時ですが、遺産を放棄したいと言ったけど、
まあ、20坪のちいさな家だけなんですけど、
それがもったいないとみんなに説得された。

「家を建てるのがどんなに大変なことか、
おまえにはまだわからないんだ!
常識で考えろ、将来絶対後悔するぞ」
と親戚に諭されて相続しました。
その結果一緒に相続することになった数百万の借金も。
そして、親戚とは長い間、疎遠に生きてます、爆。
などと、親戚のせいにしたのは表向き、本当のことを言うと、
母が死ぬまで執着していた家を捨てることができなかった、
わたしの無意識レベルの母への同意だったのかもなーとか思ったり。


うーん、
占いをやるひとなんかが自分のことをあまりくわしく語るのは、
よくない気がしないでもないんですが。
しあわせ自慢でも不幸自慢でもない、
わたしの愛する母のことを今日は書いてみました。
私の母はものすごくダメなひとだったけど、
なんとも言えない愛嬌があっておもしろいひとでした。
たぶん、あんなおもしろいひとには同じ人生では出会えないと思います。


20150910 人を集める場を形成するには
わたしは蠍に金星海王星があるけど、後半というか終わりの方だし、
ヘリオは海王星が蠍だけど、やっぱり後半なので、
あまり、人の集まる場を形成する感じではないかなーとか、
あらためて思いました。
すくなくとも大所帯はないなーという感じ。

わたしの母は天秤太陽で、たぶん活動のグランドクロス。
たぶん、というのは、わたしは母の生年月日を知らないからです。
1931年の10月の前半生まれ、
まあ調べようはあるんですけど、調べてない。
この年の10月前半は火星が蠍座の真ん中から後半になる。
たしかに、母はすぐにひとと仲良くなったし、
いつも人の輪の中心にいた。とにかく人に囲まれていたがった。

わたしは何日ひとりでいても、たいして苦にならないけど、
母は寂しがり屋で、枕元に電話を置いて寝るひとだった。
目が覚めたら誰かに電話をかけて今日の約束を取り付ける。
誰もつかまらなければ、パチンコ屋に直行する。
パチンコにいけばだれかに会えるから。

「やくざの子分の人や、日本語があやしいひと、
なんだかよくわからないひとがとりまいているけど、
おまえ知ってるのか?母ちゃん本当に大丈夫か」と
わたしに注意するように言ってくる親戚もいた。

あるとき、夜中の2時にタクシーで私の家にやってきて、
ドアをドンドコ叩くひとがいた。
夜中にどうしたんですか?って言うと、
「あんたのお母さんがいつでも遊びに来いと言ったから来たんだ」
なんて言う、とんでもないヤクザなばあさんもいた。

母の知り合いはみな、はじめてわたしに会うとびっくりする。
普通すぎるからだろうけどw
賢そうだとか、真面目そうだとか、
要するに常識的でまともだ!
という感じだ。
みな、韓国人と付き合ってると、韓国人なんだと思い、
チンピラと付き合ってると、チンピラばばあだと思う。
だけど、そうとはかぎらない。


で、まあそんなふうに、
母が生きてる間は、家にはしょっちゅう人が来ていた。
親戚は集まると必ず我が家に泊まったし、
よくわからない居候がいた時期もある。
居候をしていたあるひとは、
「あんたのお母さんは、他人のことなのに、私のことで真剣になって、
あまり真剣すぎてこわいから距離を置くよ」と出て行った。

母はそういうふうに人の世話をよくした。
仕事のないひとには仕事を探しまわってセッテイングした。
借金してきて食べさせて、帰るときにはおみやげをもたせた。
お金がない人には借りてきてお金を貸してあげ、
保証人にもなったし、そうしたひととよく一緒に金策に走り回っていた。

自分自身が昔、失踪した夫の借金を抱えて苦労した時期に、
見返りも求めずに保証人になってくれた人のことを、
後生恩に着て感謝の思いを、何十年たってもわたしに話して聞かせていた。
(この失踪した夫はわたしの父とは別の人です)

わたしの貯金も人のため、
それと、母のパチンコ代に使われた。

母はいつも同じことを言った。
「いいひとなんだけど、可哀想なひとなんだよ。助けてあげたいんだよ」
連れてくる人の身の回りの世話みたいなことはわたしの仕事だったので、
母が生きてる間はほんとうに忙しかった。

ただ、簡単にそうやって、母の好意の押し売りを受けとるひとは、
死んでからはまったく音信がない。
母が死んでから三ヶ月もたたず、夜逃げした人もいる。
母はそのひとの借金の保証人をしていたので、
夜逃げしたために、わたしのところにその借金が回ってきた。
母自身の借金もあったので、
30才のときのわたしの人生は、まさにふんだり蹴ったりだった。

占星術を勉強しはじめて、そのときの三重円を見て納得したのは、
やはりトランシットの冥王星ががネイタルの土星に90度だったこと。

わたしは、ネイタルが8ハウスの土星と5ハウスの金星が90度。
金星のとなり、4ハウスには海王星がある。
わたしの4ハウスはてんびん座ではじまり、後半が蠍座なんである。
人生の前半戦は母の影響で、他人に囲まれて落ち着くことがなかった。

習い始めのころ、
・8ハウスは人のお金、遺産
 ここに土星が入ると人の借金をもらう。
と書いてあって、あまりにそのままで笑ってしまった。

4ハウスの海王星も割と教科書どおりだったかも。
秘密の多さ、宗教との関わり、
親の保護を受けられないというか、
基盤としての家庭が流動的で足元がいつも揺れていた。
わたしは、生まれてからほとんど両親と落ち着い家庭で暮らしたことがない。
他人様に預けられていたか、家に母がいても父が居ない、
父の違う姉が突然家出してきて同居することになったり、
毎週事件が起こる連続ドラマみたいな忙しさだった。



今はとても静かな生活です。
まるで人が寄り付かない家になったw
主が変わっただけで、こうも変わるものかと、
母が主であった頃の、この家の賑わいを振り返ると感慨深い思いであります。

by umiyami | 2015-09-11 14:34 | わたしについてプロフィール