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2015-01-09  やぎ座19度「大きな買い物袋を下げた5歳程度の子供」

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やぎ座19度「大きな買い物袋を下げた5歳程度の子供」
A child of about five with a huge shopping bag.

五歳の子供がはじめてのお使いに出ます。
好奇心いっぱい「ひとりでできるもん!」と背伸びして買い物に、
そして、大きな買い物袋と格闘する姿を、かげから見守るままの姿。
家族のためにママの役にたつために!と意義あることにチャレンジする。
背伸びして精一杯手を伸ばして目的を掴み取る、
目的意識を持ってひとつのことに集中する姿にはもう大人の片鱗が見られます。

大人なったいまよりも子供だった記憶の中の五歳の自分の方が、
純粋で賢かったのではないかと思うことがあります。
もしかしてもしかすると・・・
魂としての成熟度は生まれた時から、
変わっていないのかもしれません。


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神話学のジョーゼフ・キャンベルは、5,6才の時に
自然史博物館で見たインディアンの文化に釘付けになり、
それが神話学の世界的権威の道へとそのままつながっていった。
両親は息子がインディアンのお面やトーテムポールに夢中になって、
インディアンの民話にのめり込んでいくのを咎めることもなく、
求めるままに本を与え、好きなようにさせてくれたそうです。
1900年代の初頭に、そんな親に恵まれたのは、これはすごいことだと思います。

どんなに一生懸命がんばって努力したからといって、
おとなになって世の中に出れば、
希望がそのまま叶うという保証はない。
でも、努力したその経験は自分自身を裏切らないし、
そんな自分を自由にさせてくれた両親の存在は、
もしも、彼が神話学者として成功することがなかったとしても、
(まあ、そんなことはありえないけど)
生涯自分を支える自己肯定感として生き続けたことだろう。


一般論として、世界共通なんじゃないかと思うけど、
親は子供に期待し夢をかけつつも、
現実においては既存の枠から逸脱しないように、
無難なレールの上に置きたがる。
それは間違いではない。
けれども、
キャンベル先生が釘付けになったトーテムポールのように、
自分の無常の喜びを見出してしまったら、
もうひとはそこから逃げることはできない。
どんなに無難な道に逃げても、決して逃げきることはできない。
なぜなら、その喜びは魂の呼び声だからだ。
そうなったらもう従うしかない。
そうなったら親であろうと邪魔はできないのだ。




by umiyami | 2015-01-09 10:40 | 今日のサビアンシンボル